2010年02月14日
◆小説「新・人間革命」[学光10]
◆小説「新・人間革命」
2月6日
[学光10]
一九七一年(昭和四十六年)に創価大学が開学した時から、事務局長は、日々の業務の傍ら、通信教育部開設の準備を進めてきた。
そして、創大の第一期生を社会に送り出す七五年(同五十年)を迎えると、担当の職員も数人に増員し、いよいよ通信教育部の開設に向けて、本格的な準備を始めた。
他大学の通信教育の教科書や資料集めに始まり、学部などの構成やカリキュラム(教育課程)づくりなど、課題は膨大であった。
すべてが新しい試みである。すべてが暗中模索であった。
しかし、事務局長をはじめ、担当した職員たちは、黙々と準備に当たった。
“この通信教育にこそ、民衆に開かれた創価大学の真骨頂がある”と思うと、闘志がわき、苦労も吹き飛んだ。
「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ」(注)とは、ロシアの文豪トルストイの箴言である。それは、準備に取り組む職員たちの、実感であったにちがいない。
協議を重ね、経済学部と法学部を設置するなど、全体の構想がまとまり、文部省に開設を申請。認可されたのは、翌七六年(同五十一年)の二月十日であった。
創価大学の通信教育は、「学校教育法」に基づいて行われる正規の大学教育である。
高等学校卒業または同等の資格を有する人が入学でき、正科課程(経済学部、法学部)を卒業すれば、「学士号」を取得できる。
一方、学歴にかかわらず、教養として大学課程の勉強をしたいという人などが学ぶ、特修課程(現・科目等履修)も設置されていた。この特修課程からも、正科課程へ進む道が開かれていた。
開設の準備が整うと、職員らは、全国各地で通信教育の説明会を行い、その意義や教育内容、特色などを熱く訴えた。
そして、七六年二月から、いよいよ通信教育部の入学願書の受け付けが始まった。願書は全国各地から寄せられ、昭和五十一年度一期生は二千人を超えたのである。
【聖教新聞】転載
2月6日
[学光10]
一九七一年(昭和四十六年)に創価大学が開学した時から、事務局長は、日々の業務の傍ら、通信教育部開設の準備を進めてきた。
そして、創大の第一期生を社会に送り出す七五年(同五十年)を迎えると、担当の職員も数人に増員し、いよいよ通信教育部の開設に向けて、本格的な準備を始めた。
他大学の通信教育の教科書や資料集めに始まり、学部などの構成やカリキュラム(教育課程)づくりなど、課題は膨大であった。
すべてが新しい試みである。すべてが暗中模索であった。
しかし、事務局長をはじめ、担当した職員たちは、黙々と準備に当たった。
“この通信教育にこそ、民衆に開かれた創価大学の真骨頂がある”と思うと、闘志がわき、苦労も吹き飛んだ。
「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ」(注)とは、ロシアの文豪トルストイの箴言である。それは、準備に取り組む職員たちの、実感であったにちがいない。
協議を重ね、経済学部と法学部を設置するなど、全体の構想がまとまり、文部省に開設を申請。認可されたのは、翌七六年(同五十一年)の二月十日であった。
創価大学の通信教育は、「学校教育法」に基づいて行われる正規の大学教育である。
高等学校卒業または同等の資格を有する人が入学でき、正科課程(経済学部、法学部)を卒業すれば、「学士号」を取得できる。
一方、学歴にかかわらず、教養として大学課程の勉強をしたいという人などが学ぶ、特修課程(現・科目等履修)も設置されていた。この特修課程からも、正科課程へ進む道が開かれていた。
開設の準備が整うと、職員らは、全国各地で通信教育の説明会を行い、その意義や教育内容、特色などを熱く訴えた。
そして、七六年二月から、いよいよ通信教育部の入学願書の受け付けが始まった。願書は全国各地から寄せられ、昭和五十一年度一期生は二千人を超えたのである。
【聖教新聞】転載
Posted by 師子王 at 23:01│Comments(0)
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