2009年10月14日
日如、日顕の邪義を粉砕JIS+2D24
フェイク 第1059号 2009年(平成21年)10月11日(日)
開眼は不要、世界の友が功徳満喫
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 #JIS2D24#
日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?
日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた「一機一縁」の本尊だから、御形木にして他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。まるで、御本尊の功徳が特定の人に限定されるかのような妄言である。
「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と区別する意味で用いられる。
つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた御真筆の御本尊のことを指す。日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。
こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは大謗法の発言である。
厳然と功徳があることは世界の友が実証している。
次に、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至るまで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主が祈念をしている」とも語っていた。
この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊については行われていない。
日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊を授与していたかのように誤魔化すが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど皆無に等しい状況だった。
だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を授与していた。
当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、授与していたのである。
淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕
また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。
更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。
即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。
こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊があったな」と悔しそうに呟いた。
それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がないからだ。(つづく)
【フェイク】転載
開眼は不要、世界の友が功徳満喫
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 #JIS2D24#
日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?
日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた「一機一縁」の本尊だから、御形木にして他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。まるで、御本尊の功徳が特定の人に限定されるかのような妄言である。
「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と区別する意味で用いられる。
つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた御真筆の御本尊のことを指す。日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。
こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは大謗法の発言である。
厳然と功徳があることは世界の友が実証している。
次に、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至るまで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主が祈念をしている」とも語っていた。
この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊については行われていない。
日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊を授与していたかのように誤魔化すが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど皆無に等しい状況だった。
だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を授与していた。
当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、授与していたのである。
淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕
また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。
更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。
即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。
こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊があったな」と悔しそうに呟いた。
それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がないからだ。(つづく)
【フェイク】転載
Posted by 師子王 at 12:17│Comments(0)
│【フェイク】
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