◆小説「新・人間革命」[学光9]
◆小説「新・人間革命」
2月5日
[学光9]
通信教育は、戦後、社会教育法による、洋裁や書道、速記など、趣味や教養、職業技術などを学習する社会通信教育と、学校教育法に基づく大学や高校が行う学校通信教育に整理されていく。
創価大学が通信教育を始めた一九七六年(昭和五十一年)に通信教育を行っていた大学は、法政大学や慶応義塾大学など、私立の十一大学であった。創価大学は、日本で十二番目に通信教育部を設置した大学となった。
山本伸一は、創価大学の設立を構想した時から、通信教育部の開設を考えていた。民衆に、万人に開かれた大学の建設というのが、伸一の構想であったのである。
六九年(同四十四年)四月二日、創価大学の起工式が行われるが、それから一カ月後の五月三日に開催された本部総会で、伸一は、できるだけ早く通信教育部を開設したいとの意向を示し、次のように語っている。
「通信教育ならば、年齢、職業、居住地等に関係なく、あらゆる人が勉学にいそしむことができることになります」
また、よく伸一は、学会の高等部員たちと会うと、こう言って励ましてきた。
「高等部員はできるだけ大学に進学するべきです。家庭の経済が許さない時は、自分で働いて夜学へ行けばよい。あるいは通信教育でもいい」
大事なのは、学歴ではない。学び抜く心である。学ばずは卑しである。
伸一は、どんな環境にあっても、勉強し続ける志をもってほしかったのだ。そのためにも、そうした人たちが学ぶことのできる、通信教育部の設置を念願としていたのである。
しかし、大学の開学と同時に通信教育部を設置するという構想は、実現しなかった。そういう前例がないことから、文部省(当時)の認可を受けられなかったのである。
文部省の担当官は、卒業生を出したあとなら、申請を受け付けるとのことであった。
伸一は、一日千秋の思いで、通信教育部の開設の日を待ち続けてきたのだ。
【聖教新聞】転載
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