フェイク 第1056号 2009年(平成21年)9月29日(火)
「日如の模写本尊は拝む気がしない」
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 #JIS2D21#
許し難い、寛尊の御本尊を誹謗する日顕宗僧俗
日顕宗のニセ法主二世・早瀬日如が九月度の広布唱題会(本山客殿)の席で、学会が授与している日寛上人御書写の御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりして、こんな戯言を述べていた。
「間違った信仰、例えば池田創価学会のように『ニセ御本尊』を拝んでいたのでは、幸せになれる道理はなく、『ニセ御本尊』こそ不幸の根源であり、血脈正統の本宗の御本尊以外に私達が幸せになる途(みち)は絶対にない」
こんな日如の妄言を真に受けた法華講員らが各地で「脇書きを削っている」「開眼がない」「法主の許可がない」などと暴言を吐いて非難している。
この「ニセ本尊」という批判に対し、これまで繰り返し粉砕してきたが、改めて、日寛上人の御形木御本尊に対する日如ら日顕宗僧俗の誹謗に対して、#JIS2D21#相貌(そうみょう)#JIS2D22#授与書き、#JIS2D23#開眼、#JIS2D24#許可、の四つの視点から破折を加える。
その前に、日如が模写した本尊について簡単に触れることにする。
日如が模写した御守本尊(下の写真を参照)が法華講に出回り始めた一昨年一月、著名な書道家(B展審査員)が、その本尊について次のように酷評した。
「これは文字がオドオドしているし、たどたどしい筆跡だ。まるで小学一年生が初めて筆を持ったみたいで、おっかな、ビックリで書いているから、こんな幼稚な文字になる。字が上手い、下手というより、人生七十年も生きていると、文字にもそれなりの風格が出てくるものだが、この本尊の文字からは、それがまったく感じられない。所化小僧が住職に隠れてイタズラ書きしたような文字で到底、褒められたものではない」
また、本尊の相貌などについても幾つかの難点がある。
更に「余りにも下手な字で到底、拝む気にならない」と言う法華講員もいる。
こんな粗末な模写しかできない日如が寛尊の御本尊を誹謗した妄言を粉砕する。
学会こそが広宣流布を目指す唯一の「信心の血脈を受け継ぐ仏意仏勅の和合僧団」であり、「僧宝」の意義の上から平成五年九月、授与を決議した日寛上人書写の御形木御本尊は、同上人が享保五年(一七二〇年)に認(したた)められて、開基約七百年の古刹である淨圓寺(栃木県小山市)の寺宝として所蔵されてきた由緒ある御本尊である。
「六巻抄」や数々の「文段」を残され、その中でも特に「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(観心本尊抄文段)等と大聖人直結の信心を強調された。
また大石寺内に「常唱堂」を建立するなど大聖人直結、御本尊・唱題根本で広宣流布に邁進されたのが日寛上人であった。(つづく)
【フェイク】転載